明治の新政府は、合言葉を「富国強兵」として、軍の強化をはかりました。特に近代化を進めている最中だったので、日本式であるものは時代遅れで、とにかく西洋のものを取り入れて追いつき追い越せという精神だったそうです。当時、日本が軍事的な指導を受けていた国は海軍がイギリスで、陸軍がフランスでした。イギリス式とフランス式がまざっていれば、当然刀も違いますし剣術も変わってきます。フランス式である片手式のサーベルの使い方を学びますが、この時に日本の剣術は捨てられてしまいました。日本刀は両手で扱うものだったので、片手式の剣術とは合わなかったといいます。しかし西南戦争において、弾薬不足の薩摩藩が日本刀を使って活躍します。地形を利用して敵に近づき日本刀を手にしての斬り込み突進などで、相手を劣勢に追い込み、日本刀の良さが見直されるようになったそうです。